社説:昭和天皇メモ A級戦犯合祀は不適切だった
ahttp://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060721k0000m070160000c.html
昭和天皇が、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を抱いていたこと
を示す富田朝彦元宮内庁長官のメモが明らかになった。「だから私はあれ以来参拝
していない。それが私の心だ」という簡潔な表現は真に迫っている。史料価値は高
い。
これまでも、1975年以降、昭和天皇が靖国神社へ参拝に行かなくなった理由
については、A級戦犯の合祀に不満だからであると言われていた。そして、それが
A級戦犯の分祀を求める意見のひとつの根拠になっていた。
しかし、政界や靖国神社関係者などには、A級戦犯を裁いた東京裁判の不当性を
主張すると同時に、天皇の靖国参拝中断はマスコミが騒ぐせいだという声高な反論
があった。その論争は、富田メモではっきりと決着がついた。
中曽根康弘氏は首相として1985年に靖国神社を公式参拝したが、中国の批判
を受け翌年の参拝を断念した。この時、富田元長官は「靖国の問題などの処置はき
わめて適切であった、よくやった、そういう気持ちを伝えなさい、と陛下から言わ
れております」という電話を、首相官邸に入れた(岩見隆夫「陛下の御質問」)。
昭和天皇は、首相の靖国神社公式参拝にも反対だった。
富田メモから、昭和天皇の思考の一端がうかがえる。「松平(慶民元宮内大臣)
の子の今の宮司がどう考えたのか。易々(やすやす)と。松平は平和に強い考えが
あったと思うのに、親の心子知らずと思っている」というくだりである。
先代の筑波藤麿宮司が棚上げにしてきたA級戦犯合祀を実行した松平永芳宮司に
対して、親不孝だという強烈な批判をしている。「易々と」という苦々しい言葉は
、A級戦犯を合祀しようとする人々に昭和天皇が反対していたことを示している。
戦前の靖国神社は、国民が戦死者をとむらう宗教施設ではなかった。天皇が、天
皇のために戦死した軍人たちの栄誉をたたえる顕彰施設だった。戦死者の遺族は「
息子が天子様のお役に立てた」という論理で悲しみを癒やされる建前だった。だか
ら天皇による親拝は靖国神社の本質だったのである。
戦後、宗教法人になり、皇室から独立した。だが、天皇によって遺族が癒やされ
るという戦前の伝統は、天皇の私的参拝という形で続いていた。それが絶たれた原
因は、A級戦犯合祀という神社側の選択にある。
もちろん、宗教法人となった靖国神社が、天皇と歴史観、戦争観が違っていても
自由である。メモにしても天皇個人の気持ちにすぎない。小泉純一郎首相のように
「それぞれの心の問題」と考えるのも自由だろう。
だが、そうだとしても戦没者に感謝と哀悼の誠をささげるための施設として議論
の余地がないなら、なぜ内外で大きな論議を呼ぶのだろうか。その最大の原因は、
A級戦犯合祀にある。その事実を冷静に考えるならば、いまの状態で首相が靖国神
社に参拝するのは、やはり適切ではない。
毎日新聞 2006年7月21日 0時21分
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